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2016年1月

2016年1月28日 (木)

日々のみことば 2016.1.29

一月二十九日(金)

テサロニケ一章三節

絶えず、私たちの父なる神の御前に、あなたがたの信仰の働き、愛の労苦、主イエス・キリストへの望みの忍耐を思い起こしています。

 最初のキリスト教伝道者の一人パウロは、テサロニケにある教会の人々に手紙を書き送りました。彼がテサロニケのクリスチャンの特徴として挙げていたのが、「信仰の働き」「愛の労苦」「望みの忍耐」でした。どれも、楽で、簡単で、易しいものではありません。しっかりと踏みとどまる意志が必要です。
 私たちは、楽なほう、気分がいいほうに流されがちです。そして、困難を覚えながらも人とかかわるよりは、プイッといなくなってしまうこともままあります。
 人間のまことの価値は、「信仰の働き」「愛の労苦」「望みの忍耐」といったものではないでしょうか。

祈り 「天の父なる神さま。心のやすらぎをいただくとともに、自分がかかわるべき人にしっかりと向き合えますように。」

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日々のみことば 2016.1.28

一月二十八日(木)

民数記十四章二十八節

あなたは彼らに言え。
 これは主の御告げである。わたしは生きている。わたしは必ずあなたがたに、わたしの耳に告げたそのとおりをしよう。

 モーセは、つぶやく民のために神さまからお言葉をいただきました。それは、厳しい裁きの言葉でした。
 あなたは、神さまが目に見えないので、油断してしまっていることがないでしょうか。「このくらいのことは大丈夫なのではないか。」「このくらいのことを言ってもバレやしないだろう。」
 現実には、すべてのことは神さまに知られています。
 神さまは、私たちを慈しみ、憐れんでくださいますが、侮られるような方ではありません。私の言葉、私の行動、態度には注意したいものです。

祈り 「天の父なる神さま。常にあなたの前に生かされていることを覚えさせてください。正直に、誠実に生きられますように。」

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2016年1月26日 (火)

日々のみことば 2016.1.27

一月二十七日(水)

 民数記十四章二節

イスラエル人はみな、モーセとアロンにつぶやき、全会衆は彼らに言った。「私たちはエジプトの地で死んでいたらよかったのに。できれば、この荒野で死んだほうがましだ。」

 イスラエルの民は、入って行こうとする土地の敵が強そうなのを見て、つぶやきました。こともあろうに、非常に苦しめられていたエジプトや、この何もない荒野で死んだほうがましだと言いました。
 物事があまりにも自分の思い通りにならないと、自暴自棄になって「死んだほうがましだ」と叫びたくなることもあります。そのようなときは、全能の神が私を導いてくださることを忘れているのだと思います。
 仲間や指導者につぶやくのではなく、すべてを導く神に実直に問いかけ、祈ってみるのはどうでしょうか。

祈り 「天の父なる神さま。先が見えないときに、人ではなく、あなたに向かって叫びます。助けて下さい」

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日々のみことば 2016.1.26

一月二十六日(火)

民数記十三章三十節

そのとき、カレブがモーセの前で、民を静めて言った。「私たちはぜひとも、上って行って、そこを占領しよう。必ずそれができるから。」

 カレブとヨシュア以外の族長たちが、「そこには攻め上れない」と否定的になっていたところで、カレブは神の約束を信じて、しっかりと踏み出す提案をしました。
 皆が反対する中で、自分の信じることを表明し、貫こうとするのはなかなか大変なことです。「出る杭は打たれる」「長いものには巻かれろ」というのが、日本的なやり方かもしれません。
 しかし、まことの神がおられるのであれば、人の目を気にして真実を曲げてしまうのではなく、人からの非難を覚悟してでも、信じることに一歩踏み出すことは、人生に大切な土台を据えることになります。神さまがその信仰に答えて、祝福を与えてくださいます。

祈り 「天の父なる神さま。あなたが見ていてくださることを思って、正直な決断ができますように。

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日々のみことば 2016.1.24

一月二十四日(日)

民数記十二章二節

彼ら(ミリヤムとアロン)は言った。「主はただモーセとだけ話されたのでしょうか。私たちとも話されたのではないでしょうか。」主はこれを聞かれた。

 モーセの姉ミリヤムは兄アロンを連れ立って、モーセを非難しました。ひがみとねたみがあったのでしょう。活躍していたり、用いられたりする人を見ると私たちの心は穏やかでなくなることがあります。
 主は、二人を怒りました。そして、ミリヤムはツァラアトの難病になりました。神の裁きです。
 幸い、この後ミリヤムは癒されましたが、このねたみ、ひがみはよくよく注意しなければなりません。ツァラアトのように心が腐り、感性がおかしくなり、また人に伝染します。神だけが癒すことができます。

祈り 「天の父なる神さま。ねたみやひがみから解放し、きよめてください。活躍している人を認め、自分の働きにも誇りをもって取り組めますように。」

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日々のみことば 2016.1.25

一月二十五日(月)

民数記十三章二節

人々を遣わして、わたし(主)がイスラエル人に与えようとしえちるカナンの地を探らせよ。父祖の部族ごとにひとりずつ、みな、その族長を遣わさなければならない。

 神さまはエジプトから連れ出したイスラエルの民を約束の地カナンに導き入れる前に、偵察を遣わすように命じました。これまでは、神さまが雲の柱、火の柱をもって直接に導いておられましたが、ここでは、自分たちで先立って探るようになさいました。これはある意味さらに信仰が必要であったかもしれません。なぜなら、もし状況が難しくても、神さまに信頼して前進しなければならないからです。先の状況が分からなければ、ともかく神さまに信頼しなければなりませんが、先が厳しい状況であれば、敢えて前進を選ぶのは難しいものです。

祈り 「天の父なる神さま。先々のことを考えるときに、自分の判断よりも、神さまに信頼することを大切にできますように。」

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2016年1月22日 (金)

2016年1月24日(日)礼拝へのお招き

当キリスト教会の礼拝は信者でなくとも,どなたでもご参加いただけます。
次回の礼拝では,対立・衝突したときに,人はどのような手段に訴えることになるのかを見たいと思います。

2016年1月24日(日)主日礼拝
午前10時30分から12時ころ
水戸下市キリスト教会会堂にて
説教題:「知恵と偽りの対決」
説教者:渡部和彦牧師
※ 貸し出し用の聖書,讃美歌がございます。
* 聖書の学びをご希望の方は,牧師が随時対応いたしております。ご連絡ください。

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日々のみことば 2016.1.23

一月二十三日(土)

 民数記十一章十七節

わたしは降りて行って、その所であなたと語り、あなたの上にある霊のいくらかを取って彼らの上に置こう。それで彼らも民の重荷をあなたとともに負い、あなたはただひとりで負うことがないようになろう。

 イスラエルの指導者モーセは、不平を鳴らす民にほとほと疲れ果て、死を願うほどでありましたが、神さまはその責任を、他の長老たちと分け合うようになさいました。すべてのことをいつまでも自分一人でやろうというのは無理があります。
 あなたが今負っている責任は、自分一人が負い続けるべきものでしょうか。あるいは、神さまに訴えて、他の多くの人たちとともに担うべきものでしょうか。これまで自分が責任を持っていたものを他の人に任せるというのは勇気と謙虚さが必要です。

祈り 「天の父なる神さま。私に与えられている働き、使命を感謝します。もし他の人と分かち合うべきでしたら、教えてください。」

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2016年1月21日 (木)

日々のみことば 2016.1.22

一月二十二日(金)

民数記十一章四~五節

また彼らのうちに混じってきていた者が、激しい欲望にかられ、そのうえ、イスラエル人もまた大声で泣いて、言った。「ああ、肉が食べたい。エジプトで、ただで魚を食べていたことを思い出す。きゅうりも、すいか、にら、たまねぎ、にんにくも。

 エジプトでは奴隷になっていて苦しめられていたのに、脱出し、一息つくと、救いの喜び、感謝をすべて忘れてしまったかのように不意、不満が口をついて出ました。自由に、十分に食べられなかったはずなのに、それも忘れています。
 私たちもまた「のど元過ぎれば熱さ忘れる」ことがあるでしょう。問題の種は「激しい欲望」です。与えられたもので満足せずに、もっともっとと欲しがる欲望が、感謝と謙虚を失わせます。必要を満たしてくださる神に祈りと感謝をささげましょう。

祈り 「天の父なる神さま。日々の必要を満たしてください。また日々養ってくださることを感謝しします。」

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日々のみことば 2016.1.21

一月二十一日(木)

民数記十章三十四六節

彼らが宿営を出て進むとき、昼間は主の雲が彼らの上にあった。

 荒野で人口調査をし、度の準備をしていたイスラエル民族でしたが、いよいよ出発となりました。宿営地の中心にある幕屋に神の臨在の現れとして雲がとどまっていましたが、ある日幕屋の上から離れて上りました。幕屋の上に雲がとどまるというのも不思議な光景ですが、それが離れ去るという変化もまたどきどきさせられたこと思います。今後、イスラエルの旅に伴って雲が一緒に進みました。神がともにおられるしるしです。
 あなたは人生の旅路に孤独を感じたことがあるでしょうか。そんなときには、上を見上げてみてください。主なる神の雲があなたの上にあります。あなたと一緒におられる神に祈ってみてください。

祈り 「天の父なる神さま。人生の旅路に伴ってくださることをありがとうございます。どうぞ、どこへ行くべきか導いてください。」

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日々のみことば 2016.1.20

一月二十日(水)

民数記十章二節

銀のラッパを二本作らせよ。それを打ち物作りとし、あなたはそれで会衆を招集し、また宿営を出発させなければならない。

 イスラエル民族を指導したモーセに、神はラッパを作るように命じました。それは、集会を招集したり、出発や戦闘を知らせたりするためでした。
 現在のキリスト教会では、一部の教会に鐘が付けられていて、礼拝やイベントのときに鳴らされることがあります。その他の場合には、様々なお知らせは、文書やプリント、最近ではWEBでなされます。あなたがそのような案内を手に取るとき、それは、ラッパの響きのようにあなたに知らされていることなのかもしれません。日々の生活の中で、不意にそのような「ラッパの音」を聞くことがあるかもしれません。ぜひ神からの案内として受け止めてみてください。

祈り 「天の父なる神さま。ラッパの音が聞こえるときには、神さまに応答できますように。」

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日々のみことば 2016.1.19

一月十九日(火)

 民数記九章十八節

主の命令によって、イスラエル人は旅立ち、主の命令によって宿営した。雲が幕屋の上にとどまっている間、彼ら宿営していた。

 荒野を旅するイスラエル人は、宿営にとどまる雲を、主なる神からの合図として旅だったり、宿営したりしました。
 私たちが、動いたり、留まったりするときには、慎重に、また大胆に決断しなければなりません。ときに難しい決断を迫られることもあります。そんなとき、神が導いてくださるとすれば、それは何と心強いことでしょうか。そしてむしろ自分の判断よりも、神の指示を優先させなければなりません。もしかすると、この神を優先するということのほうが難しいかもしれません。
 イスラエル人は、荒野の旅を神によって守られました。あなたも人生の旅を神によって守られるものとしませんか。

祈り 「天の父なる神さま。あなたが人生の旅を守ってくださるのであれば、その命令に従います。」

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2016年1月18日 (月)

日々のみことば 2016.1.18

1月18日(月)

民数記8章6節

レビ人をイスラエル人の中から取って、彼らをきよめよ。

 レビ人は、神礼拝のための御用を務める部族でした。彼らも人間ですから、神の前に罪を犯します。ですから、神の身近に仕えるために、入念なきよめが必要でした。

 キリスト教会にも、牧師や役員・執事といった特に教会のために働き、責任を持つ人たちがいます。こういった人たちもきよめが必要です。他の人たちと変わらず、神の目に罪を犯す存在ですが、本人のみならず、教会全体で彼らのきよめのために祈ります。そうして牧師や役員・執事は教会のために働きます。教会・神の民は、リーダーも一般の人も祈られ、きよめられる必要がありますし、きよめをいただくことができます。
 あなたは、「罪のきよめ」について関心がありますか。

祈り 「天の父なる神さま。私の生活、人生をきよめてください。」

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2016年1月17日 (日)

日々のみことば 2016.1.17

1月17日(日)

民数記7章76節

罪のためのいけにえとして雄やぎ一頭。

 イスラエルの各部族の族長が、主なる神にささげ物をする中に、罪のためのいけにえがあります。何か犯罪を犯した、悪いことをしたということが具体的にあったわけではありません。しかし、家族、部族を代表するときに、そのメンバーの中には神に対して罪を犯しながら、その罪が隠されたままということもあり得ます。もし罪がそのままであれば、神によって裁かれ、滅ぼされてしまいます。家長、一族の長は、そのように全体のためにも気を付けて神の前に誠実であるようにしています。
 罪は、犯罪のみならず、不誠実、汚れ、怠慢、うらみ、無礼ということをも含みます。そういう意味では、私たちは罪まみれです。神の前にへりくだって、赦しをいただきましょう。

祈り 「天の父なる神さま。罪ある者、至らない者を赦し、憐れんでください。」

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2016年1月16日 (土)

日々のみことば 2016.1.16

1月16日(土)

民数記7章42節

六日目にはガド族の族長、デウエルの子エルヤサフであった。

 民数記七章には、十二部族のそれぞれが主なる神にささげものをしたことが、部族ごとに、すなわち十二回繰り返して記述されています。書き記すのも大変だったでしょうが、読むほうも面倒に思ったりします。けれども繰り返し、記されました。そこには、各部族が等しく大切にされていることが表されています。十把一絡げではなく、数値による統計ではなく、名前を呼び、一つ一つ、一人ひとりを大切にしてくださる神さまの御思いが込められています。
 私自身は世の中では、対して目立たないかもしれませんが、神さまの前には覚えられています。家族ごとに、一族ごとに、神さまの前にささげ物をささげたいものです。

祈り 「天の父なる神さま。私の名前、私の一族の名前を呼んでくださることを感謝します。一族をあげて主にささげ物ができますように。」

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2016年1月14日 (木)

日々のみことば 2016.1.15

1月15日(金)

民数記7章9節

しかしケハテ族には何も与えなかった。彼らの聖なるものにかかわる奉仕は、肩に負わなければならないからである。

 レビ族の一つであるケハテ族には、他のレビ族とは違って、車や牛は与えられませんでした。礼拝のための器具は自分自身で背負わなければならなかったからです。
 私たちは合理性、簡略化を図りたがる傾向があるように思います。より便利に、簡単に、楽にできるようにしたい。しかし、今日の聖書の箇所は、その行き過ぎにノーを突きつけているように思います。自分自身の体を用いて、神に奉仕する。あえて道具に頼らずに自分の体を使う。そこには、心を込めてする愛の奉仕が表されているように思います。機械化された自動作業ではなく、力と思いを込めた愛の関わりです。

祈り 「天の父なる神さま。合理化を図るとともに、心を込めての働きをも大切にさせてください。」

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2016年1月17日(日)礼拝へのお招き

当キリスト教会は,どなたでも礼拝に参列いただけます。
イスラエル民族の偉大な先祖アブラハムは,何と同じような過ちを二度犯すということがありました。“信仰の父”でもそのようなことがあるのですね。そのようなアブラハムに対する神さまの評価はどのように変わるのでしょうか。

2016年1月17日(日)主日礼拝
午前10時30分~12時ころ
水戸下市キリスト教会会堂にて
説教題:「預言者の妻」
説教者:渡部和彦牧師
※ 貸し出し用の聖書・讃美歌がございます。礼拝後は軽食がございますので,よろしければどうぞ。
☆ 「正体を隠した」聖書勉強会にご注意ください。マインド・コントロールによって取り込もうとする偽のキリスト教会の可能性があります。宗教,カルトのことは,当キリスト教会にご相談ください。

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日々のみことば 2016.1.14

1月14日(木)

 民数記7章2節

イスラエルの族長たち、すなわち彼らの父祖の家のかしらたち―彼らは部族の長たちで、登録を担当した者がささげ物をした。

 イスラエルは、神の民として人数を数え、登録をしたあと、十二部族がささげものをしました。そしてそれは族長たちが行いました。
 日本では、大家族が少なくなって久しいですが、核家族の中の家長、夫、父親ですら、その長としての立場、責任、権威が見られなくなってきているように思います。個人の自由、権利が言わば暴走しているようにも感じます。けれども、家長、族長がその家を、一族を代表して神の前に出ることは尊いことです。それぞれの家の特徴を作り、協調の態勢を整え、協力して発展を促します。家長本人の自覚とともに、回りの家族の尊敬や励ましも必要なことでしょう。

祈り 「天の父なる神さま。家族、親族はあなたが与え、定めてくださっているものです。家長、族長がよき代表となりますように。」

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日々のみことば 2016.1.13

1月13日(水)

民数記6章24〜26節

主があなたを祝福し、
あなたを守られますように。
主が御顔をあなたに照らし、
あなたを恵まれますように。
主が御顔をあなたに向け、
あなたに平安を与えられますように。

 荒野にて旅の準備をしていたイスラエルの民に、祝福のことばが備えられました。
 人生は旅に例えられます。大切な人を旅に送り出すときには、安全を願い、祝福を祈ります。このとき本当に力があるのは、神の守りと祝福です。今日の聖書のみことばをもう一度読み返してみてください。主なる神さまの暖かさ、いつくしみ、まぶしい光を感じます。神さまはあなたの人生を祝福しようとしておられます。
 あなたには、あなたの人生、生活のために神の祝福を祈ってくれる方があるでしょうか。どうぞ、キリスト教会で祈ってもらってください。

祈り 「天の父なる神さま。私を祝福してくださることを感謝します。」

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2016年1月12日 (火)

日々のみことば 2016.1.12

1月12日(火)

民数記5章6~7節

イスラエル人に告げよ。
 男にせよ、女にせよ、主に対して不信の罪を犯し、他人に何か一つでも罪を犯し、自分でその罪を認めたときは、自分の犯した罪を告白しなければならない。その者は罪過のために総額を弁償する。また、それにその五分の一を加えて、当の被害者に支払わなければならない。

 キリスト教は、愛と赦しの宗教ですが、罪や不正を容認するわけではありません。罪を認め、告白し、損害賠償をします。近年では、キリスト教会内部でそのような認罪と賠償が有耶無耶にされかねない悲しいことも聞きますが、聖書は正義と公正を語っています。
 「主に対して」とあるように、人にバレルかどうかではなく、神さまの前で素直に自分を見つめる者でありたいです。

祈り 「天の父なる神さま。もしあなたは隣人に罪を犯したときには、素直に認め、誤り、償うことができますように。」

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2016年1月11日 (月)

日々のみことば 2016.1.11

1月11日(月)

民数記5章23節

三十歳以上五十歳までの者で会見の天幕で務めを果たし、奉仕をすることのできる者をすべて登録しなければならない。

 イスラエルの中で礼拝に用いる天幕の仕事にあたることができたのは、三十歳から五十歳まででした。十代半ばで成人しましたから、ずいぶんと長い見習い期間があることが分かります。また五十歳というのもいくぶん早い引退であるようにも思います。
 それぞれの仕事によって適正の年齢があります。個人差もありますが、気をつけたいものです。働きのためには準備期間があり、引継ぎも含めて引退の時期を考えましょう。「若気の至り」では済まされないこと、「老害」を振りまかないこと、お互いに注意したいです。

祈り 「天の父なる神さま。仕事、働きも神さまから託され、任されているものとして、良い準備と適切な引退とを導いてください。」

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2016年1月 9日 (土)

日々のみことば 2016.1.10

1月10日(日)

 民数記4章20節

彼らが入って行って、一目でも聖なるものを見て死なないためである。

 レビ族の中のケハテ族というグループに礼拝のための聖所の中のものを扱う仕事があてるあてがわれました。そして祭司の指導のもとで聖なる器具を取り扱いました。そうでないと、聖なるものを見て死んでしまうのでした。
 お守りの中身を開けてしまうと効果がなくなってしまうと言われます。キリスト教では、聖なるものを見ると死ぬと言われているので、そっちのほうが大変かもしれません。
 神は聖なる方なので、罪や汚れがある者が近づくと死んでしまいます。ですが、イエス・キリストが大祭司として仲介してくださると、罪と汚れのある人間でもきよめられて近づくことができます。ありがたいことです。

祈り 「天の父なる神さま。聖なるあなたに親しく祈ることができる幸いを感謝します。イエスさまのおかげです。」

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日々のみことば 2016.1.9

1月9日(土)

民数記3章49節

こうしてモーセはレビ人によって贖われた者より超過した者たちから、贖いの代金を取った。

 イスラエル民族は神さまによって、奴隷とされていたエジプトから連れ出してもらったので、喜んで主なる神に使える民となりました。そのしるしの一つとして、初子は主のものとなり、レビ族の人たちをもって代わりとすることになりました。興味深い神と民の関わりです。けれども、レビ族が対応する人数に足らなかったので、神さまは足りない分お金で支払わせました。
 「地獄の沙汰も金次第か!?」と思われるかもしれませんが、むしろ、すべての人が神との契約に入れるように配慮されています。また神はことを概算で行うような不正確な方でないことを表しています。「宗教とはうさんくさいものだ」と思われることもありますが、神さまは正確なお方です。

祈り 「天の父なる神さま。綿密な救いと導きを感謝いたします。」

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2016年1月 7日 (木)

日々のみことば 2016.1.8

1月8日(金)

民数記3章36~37節

メラリ族に任じられた務めは、幕屋の板、その横木、その柱と台座、そのすべての用具およびそれに用いるすべてのもの、庭の回りの柱とその台座、その釘とそのひもについてである。

 レビ部族の中のメラリ族に割り当てられた仕事は、外回りの用具に関するものでした。演劇でいうならば、大道具さんでしょうか。
 道具、用具の中には、目立つもの、うやうやしく扱われるものもあれば、地味なもの、背景のようにして目立たないものもあります。ですが、どのようなものも舞台では大切です。
 私の役割もまた、目立つこともあれば、目立たないこともあります。実は大半は目立たないのだと思います。けれども、大切な働きです。

祈り 「天の父なる神さま。今日、目立たない働きにこそ、神さまからの使命があることを覚えさせてください。」

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2016年1月10日(日)礼拝へのお招き

当キリスト教会は,信者でなくとも,どなたでも参列いただけます。
聖書では,「霊的な戦い」を教えています。それは日常生活の中で繰り広げられています。ちょっと怖い気もしますが,いったいどういうものなのでしょうか。

2016年1月10日(日)主日礼拝
午前10時30分~12時ころ
水戸下市キリスト教会会堂にて
説教題:「真実な生き方」
説教者:渡部和彦牧師
※ 貸し出し用の聖書,讃美歌がございます。礼拝後は軽食がございますので,よろしければそちらもどうぞ。

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日々のみことば 2016.1.7

1月7日(木)

民数記3章13節

初子はすべてわたしのものだからである。エジプトの国でわたしがすべての初子を打ち殺した日に、わたしは、人間から始めて家畜に至るまでイスラエルのうちのすべての初子をわたしのものとして聖別した。彼らはわたしのものである。わたしは主である。

 長男・長女、初孫は、その家にとって喜びです。しかし、聖書は、それは神さまのものだと言います。この神さまは横暴な神なのでしょうか。いいえ、むしろいのちを造り、与える神です。
 子供は親、家の所有物ではなく、神さまから授かりものであり、預かりものです。いのちの主が神さまであることを思うときに、謙虚に、そして責任を感じて、小さないのちとも接することができます。

祈り 「天の父なる神さま。家族のいのちが大切だと思っていますが、神さまもまたとても大切にしてくださっていることを感謝します。神さまへのおささげもののようにして、大切に接することができますように。」

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2016年1月 6日 (水)

日々のみことば 2016.1.6

1月6日(水)

民数記2章34節

イスラエル人は、すべて主がモーセに命じられたとおりに行い、それぞれの旗ごとに宿営し、おのおのその氏族ごとに、父祖の家ごとに進んだ。

 独立独歩で自分の足で進むのが良いとされます。けれども、イスラエル人は主が命じられたとおりにしました。家族ごと、部族ごとのつながりも大切にされています。
 親戚付き合いは面倒なこともあり、現代では意味がなさなくなっている風習があって、刷新される必要もありますが、自分で作り上げたのではない不思議なつながりとして大事にしたいものです。家族、親族はバラバラにするのではなく、むしろ助け合うようにしたいものです。
 今日、家族、親族のためにできること、祈れることは何でしょうか。

祈り 「天の父なる神さま。家族、親族を与えてくださった神さまに感謝します。私にできることを教えてください。」

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2016年1月 5日 (火)

日々のみことば 2016.1.5

1月5日(火)

民数記1章50節

あなたは、レビ人に、あかしの幕屋とそのすべての用具、およびそのすべての付属品を管理させよ。彼らは幕屋とそのすべての用具を運び、これを管理し、幕屋の回りに宿営しなければならない。

 イスラエル人の中のレビ族には、特別の仕事が割り当てられました。「ずるい」と思うでしょうか。「大変だな」と思うでしょうか。
 私たちは、公平でなければならないと考えることがあります。でも、神さまが特別に使命、仕事を与える場合があります。他の人がそれをやりたいと思ってもできないし、その仕事が与えられた人が辞めたいと思ってもしなければなりません。
 現代は、「自由」が強調されますが、神に従うことで見えてくる自由があります。

祈り 「天の父なる神さま。神様に従うことでの自由を発見させてください。」

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2016年1月 3日 (日)

日々のみことば 2016.1.4

1月4日(月)

民数記1章1~2節

人々がエジプトの国を出て二年目の第二月の一日に、主はシナイの荒野の会見の天幕でモーセに告げて仰せられた。「イスラエル人の全会衆を、氏族ごとに父祖の家ごとに調べ、すべての男子の名をひとりひとり数えて人口調査をせよ。

 エジプトの国で奴隷にされていたイスラエル人は、モーセを通して神さまによって解放されました。そして人口調査が命じられました。
 人生の旅路においては、戦わなければならない時もやってきます。そのときに自分の力がどれくらいであるのかを分かっていないと、作戦が立てられなくなります。自分が優勢であれば、攻め込みますし、相手が強ければ、援軍をお願いするか、和平を申し込むか、をします。
 神さまに与えられている実力をよく知っておきたいものです。

祈り 「天の父なる神さま。私に与えてくださっている能力、賜物を教えてください。それを十分に用いることができますように。

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2016年1月 2日 (土)

2016年1月3日(日)新年礼拝へのお招き

あけましておめでとうございます。今年も当キリスト教会はどなたにも開かれています。ごいっしょに主なる神さまを礼拝しましょう。

2016年1月3日(日)新年礼拝
午前10時30分~12時ころ
水戸下市キリスト教会会堂にて
説教題:「キリストにとどまる」
説教者:渡部和彦牧師
※ 貸し出し用の聖書,讃美歌がございます。礼拝後は軽食がございますので,よろしければそちらもどうぞ。

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日々のみことば 2016.1.3

1月3日(日)

詩篇92篇1~2節

主に感謝するのは、良いことです。

いと高き方よ。あなたの御名にほめ歌を歌うことは。

朝に、あなたの恵みを、

夜ごとに、あなたの真実を言い表すことは。

 朝起きて、口からついて出ることは何でしょうか。元気なあいさつでしょうか。ため息でしょうか。文句でしょうか。感謝でしょうか。
 私たちの体は、食べ物で元気になり成長しますが、実は、ことばも大きな影響を与えています。うれしいことば、良いことばは心と体を元気にします。悪いことば、不平・不満は心を暗くし、体を弱らせます。
 私の体が一番元気になるのは、私を造ってくださった神さまを賛美することです。「神さまありがとう。」「神さま、導いてください。」「神さま、あなたは恵みを施してくださる真実な方です。」

祈り 「天の父なる神さま。あなたを賛美します。賛美歌を歌って、あなたにほめ歌を歌います。」

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日々のみことば 2016.1.2

1月2日(土)

詩篇91篇11節

まことに主は、

あなたのために、御使いたちに命じて、

すべての道で、あなたを守るようにされる。

 ふと、「私の人生はどうなってしまうんだろう」と思うことがあります。
 人は、「自分の力を信じてがんばれ!」「周りの人と協力してがんばろう!」と言います。
 聖書は、神さまからの助けがあることを教えます。今日の箇所では、御使いが守ってくれるとあります。
 ある絵本では、「天使は子供と動物にしか見えない」とありました。でも大人も実は知っています。天使が神さまから遣わされて私を守ってくれることを。

祈り 「天の父なる神さま。天使を遣わして、今日の私の歩みを守ってくださることを感謝します。おどおどせずに、神さまに信頼して大胆に生活できますように。

 

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2016年1月 1日 (金)

日々のみことば 2016.1.1

1月1日(金)

詩篇90篇12節

それゆえ、私たちに

自分の日を正しく数えることを教えてください。

そうして私たちに

知恵の心を得させてください。

 私たちは、今日という日が明日も来て、ずっと変わらないのではないかと思ってしまうことがあります。けれども、私たちの毎日は移り変わって行っていて、確実に変化しています。幼い子供たちは成長します。若者たちは新しいことにチャレンジしていきます。壮年たちは経験豊かになっていきます。そして、年配者は年をとっていきます。

 私のこの命は神さまからのものであり、地上での歩みには限りがあると教えられるときに、今日の私にできることを他の人と分かち合いたいと願わされます。

祈り 「天の父なる神さま。私の生涯が限られていることを教え、知恵を与えてくださって、私の歩みが今日出会う人に知恵をお分かちする日でありますように。」

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2016年1月1日元旦礼拝へのお招き

2016年1月1日元旦礼拝

午前6時30分より

水戸下市キリスト教会会堂にて

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