日々のみことば 2016.1.15
1月15日(金)
民数記7章9節
しかしケハテ族には何も与えなかった。彼らの聖なるものにかかわる奉仕は、肩に負わなければならないからである。
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レビ族の一つであるケハテ族には、他のレビ族とは違って、車や牛は与えられませんでした。礼拝のための器具は自分自身で背負わなければならなかったからです。
私たちは合理性、簡略化を図りたがる傾向があるように思います。より便利に、簡単に、楽にできるようにしたい。しかし、今日の聖書の箇所は、その行き過ぎにノーを突きつけているように思います。自分自身の体を用いて、神に奉仕する。あえて道具に頼らずに自分の体を使う。そこには、心を込めてする愛の奉仕が表されているように思います。機械化された自動作業ではなく、力と思いを込めた愛の関わりです。
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祈り 「天の父なる神さま。合理化を図るとともに、心を込めての働きをも大切にさせてください。」
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